諸葛 喬(しょかつ きょう、204年 - 228年)は、蜀漢の武将。呉の諸葛瑾の次男。字は初め、仲慎、後に叔父の諸葛亮の養子となった時に伯松と改めた。諸葛攀の父で、諸葛顕の祖父。
生涯
諸葛瑾の次男として呉で生まれたが蜀漢・呉修交後(224年頃)に、父の命で当時子供のいなかった叔父の諸葛亮の養子となり蜀漢に仕える。将来を期待されており、後に劉禅の姉を娶ったと言われ、蜀漢の駙馬都尉に任じられた。
長兄の諸葛恪よりは才能が劣っていたが、性格は父譲りで遥かに上であると評された。若い頃は霍峻の子の霍弋と共に、見聞を広めるため旅をしたという。だが、その才能を発揮することは無く、漢中にて病死した。享年25。
なお、諸葛亮に実子の諸葛瞻が誕生(227年)したため、子の諸葛攀は諸葛瑾の末裔の身分を回復し、諸葛恪誅殺後に伯父諸葛恪の後を継いだという。孫の諸葛顕はそのまま蜀漢に仕え、蜀滅亡後に河東へ移されたという。
家系図