蔡 成勲(さい せいくん)は、清代から中華民国にかけての軍人。北洋系の軍人で、北京政府では直隷派に属した。字は虎臣。
事績
1900年(光緒26年)、北洋武備学堂を卒業する。京畿附近駐屯軍副司令、督練処参議官、浙江第21鎮協統領などを歴任した。1912年(民国元年)、北京大総統府侍従武官に任命される。翌年に陸軍第1師第1旅旅長、1914年(民国3年)に陸軍第1師師長と昇進していく。
1916年(民国5年)6月の袁世凱死後は直隷派に属し、翌年に第7軍軍長に昇進した。同年8月、綏遠都統を兼任した。民国9年(1920年)9月、甘粛督軍を兼任する。民国10年(1921年)5月、陸軍総長に就任したが、同年12月に辞任した。
1922年(民国11年)6月、督理江西軍務善後事宜に就任して、同省を統治した。1924年(民国13年)、配下である贛南鎮守使方本仁により下野に追い込まれた。以後、天津に戻り隠居した。
1946年(民国35年)、死去。享年74。
参考文献