落合 義雄(おちあい よしお、1907年8月23日[1][2] - 1992年8月20日[3])は、日本の俳優、劇作家[4]、演出家[4]。群馬県高崎市出身[3]。本名同じ[5]
来歴
1924年、群馬県高崎市において地方演劇運動を開始[2]。1932年、児童演劇運動を開始[2]。1946年、群馬演劇文化集団を結成[2]。同年、劇団ポポロ座を設立[4]。
1956年、松竹大船撮影所入社[2]。研究グループ、船の会を設立し、永井秀明、里見孝二とともに幹事役を務める[4]。
映画の制作本数の減少を受けてテレビへの進出を考え、『ここに泉あり』で共演した椎原邦彦の紹介で彼が所属しているグループ・てえぶらにテレビ関係のマネジメントを委託[4]。1959年1月、グループ・てえぶらが太平洋テレビジョン芸能部となった後も同社にテレビ関係のマネジメントを継続[4]。同年、松竹との契約を本数契約に変更[4]。同年末、遊走腎を発症し、療養の為、前橋に戻る[4]。療養中、太平洋テレビから独立したTMC(後の東京俳優生活協同組合)に加盟[4]。
出演作品
映画
テレビドラマ
出典
外部リンク