株式会社荻野屋(おぎのや)は、群馬県安中市松井田町横川に本店を置く弁当製造販売業を手掛ける会社。「おぎのや」の名で駅弁「峠の釜めし」を製造・販売している。関連会社に、サービスエリア内の飲食店やドライブインの運営を行う「株式会社おぎのやドライブイン」などがある。
会社概要
1885年(明治18年)に信越本線の横川駅前に本店を構え創業[1]。
信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間は碓氷峠の険難に阻まれており、専用の補助機関車を連結して運転していた。1963年(昭和38年)7月15日のラック式鉄道(アプト式)廃止までは機関車をED42形電気機関車などへ付け替えるため、同年7月15日の粘着式鉄道への切り替えから1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線の高崎駅 - 長野駅間が開業するまでの間はEF63形電気機関車の連結を行うため、全ての列車が当駅に長時間停車していた。従って、当駅は駅弁を販売するに適していた。駅弁を売り終え、列車が発車する際には、販売員一同が整列し、列車がホームを去るまで深々とお辞儀をするのがお決まりであった[2]。
業績は必ずしも好調ではなかったが、1957年(昭和32年)に「峠の釜めし」[3]を発売してヒットを飛ばしたことにより、脚光を浴びるようになった。
1967年(昭和42年)には当時の同社経営者をモデルとしたテレビドラマ『土曜劇場「釜めし夫婦」』がフジテレビ系列で放映された。この作品が「峠の釜めし」と「おぎのや」の存在を全国に知らしめた。
自動車社会の到来にあわせ、国道18号脇に工場兼ドライブインを建設する拡大路線をとり、軽井沢へ向かう多くの観光バスが食事休憩に立ち寄る名所にまで成長させた。上信越自動車道開通後はサービスエリアや軽井沢各所への出店により、横川を経由しない自動車の流れにも対応している。ドライブイン展開の経営路線はその後拡大され、長野県各所にドライブインを有している。
北陸新幹線の先行開業に伴う横川 - 軽井沢駅間の廃止により動向が懸念されたが、このように横川駅での駅弁販売以外の売り上げを7割以上に高めていたことにより、経営への影響は最小限であった。
沿革
店舗・営業所
店舗一覧参照
また百貨店やスーパーマーケットなどの「駅弁フェア」や鉄道イベントなどに随時臨時出店しており、日本全国に弁当を出荷している。
主な商品
- 峠の釜めし:益子焼の釜に炊き込みご飯と具を詰めた弁当。
- 玄米弁当:玄米ご飯と和風のおかずをまとめたもの。
- 釜アイス:釜飯の釜を小さくしたような容器に入れたアイスクリーム。
この他にもいろいろなお弁当がある。また、団体客用の料理も提供している。
そして、お弁当以外にもパン屋などが前橋駅や横川サービスエリアがあり、釜めしパンなどが売られている。
関連項目
- 1998年に稼働したタイトーのアーケードゲーム。横川駅でEF63形を489系『白山』を連結するボーナスゲームで成功したときに「峠の釜めし」(追加ノルマ10秒満点の時は「玄米弁当」)の写真が表示される。当社のゲーム内広告でもあり、本作を移植した据置形ゲーム機版にもある。
- 劇中でははぎのやとして登場している。また、シェルパ部の萩野 朱鷺音ははぎのや社長の実娘。
- 劇中で池谷と真子が初めて出会う場所として、おぎのやの看板が登場する。
- 峠の釜めしの釜形容器の製造者。
脚注
出典
外部リンク
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