荒尾 善次(あらお よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。姫路藩初代藩主となった池田輝政の外祖父。
略歴
永正5年(1508年)、尾張国知多郡大野城主・佐治為貞の子として誕生。
今川義元の尾張侵攻により戦死した同知多郡木田城主・荒尾小太郎空善の名跡を継承し荒尾姓を名乗ったという。織田信長に仕えて荒尾村[3]を領し、今川勢と対峙して木田城を守った。しかし弘治元年(1555年)に始まった義元の尾張進攻によって、同3年には知多の諸勢の多くが今川方に投降したと言われており[4]、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの際には、善次も同様の立場に置かれていたと考えられる[5]。そのため桶狭間の戦い以後は隠居した。
系譜
脚注
- ^ 法名は編纂時の旗本家呈譜によるとする『寛政重修諸家譜』の記述からの類推。また出生年については数え83歳で三河国西郡(愛知県蒲郡市)で没したとする同書の記述に拠った。
- ^ 『寛政重修諸家譜』新訂10巻329頁。この妻は徳川家康の従姉妹。
- ^ 愛知県東海市。
- ^ 『松平記』巻1。
- ^ 『知多郡史』上巻254頁。