茅渟王(ちぬのおおきみ / ちぬのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。押坂彦人大兄皇子の王子。母は漢王の妹の大俣王(おおまたのみこ)。異母弟は舒明天皇。桜井皇子の女の吉備姫王(吉備島皇祖母命)を妃とし、宝女王(皇極天皇・斉明天皇)と軽王(孝徳天皇)を儲けた。茅渟皇子、智奴王とも。
系譜記事に名が現われるのみで、事績は全く不明である。歴史学者の塚口義信は、『新撰姓氏録』左京皇別に見える百済王(百済親王)に同一人とする説を出しているが[1]、確実ではない。『延喜式』諸陵寮によれば、片岡葦田墓(かたおかのあしたのはか)[2]に葬られたとされ、塚口は奈良県香芝市の平野塚穴山古墳(方墳・辺18m、国の史跡)をそれに当てている。
系図
脚注
- ^ 塚口義信「茅渟王伝考」『堺女子短期大学紀要』25号、1990。
- ^ 孝霊天皇の片丘馬坂陵・顕宗天皇の傍丘磐坏丘南陵・武烈天皇の傍丘磐坏丘北陵(片岡三陵)と合わせて「片岡三陵一墓」と呼ばれることもある。
外部リンク