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この項目では、神沢杜口の随筆について説明しています。植物については「オキナグサ」をご覧ください。 |
『翁草』(おきなぐさ)は、江戸時代に書かれた随筆。前編・後編をあわせて全200巻[1]。
京都町奉行所の与力を勤めた神沢杜口が、曾祖父以来の蔵書や、先行文献、風聞や自身の見聞・体験を元にした、厖大な諸資料からの抜粋・抄写を含む編著[1]。諸資料からの抄写に杜口自身の批評や解説が加えられているものも多い。諸資料の原典はすでに一般に広まっているものも多いが、近世後期および京都の随筆として一級品の一つと評価される[1]。
室町時代末期から寛政3年(1791年)までの約200年間の、歴史的事実・人物、法制・裁判、文学・伝説、宗教・道徳、風俗・地理・経済などが書かれている。人物の中でも、織田信長や豊臣秀吉、歴代徳川将軍といった天下人・将軍のほか、領主・大名・旗本から戦国武将・兵卒まで、武家が多く描かれている。ほかにも、皇室や公卿、僧侶や神職、学者・儒者・医者、芸能家・芸術家、茶人、碁打ちに棋士、農民・職人・商人まで、老若男女を問わず、あらゆる階層・地方の人々が登場している。杜口は俳人だったため、俳人に関する記述は江戸中期の京都俳壇を知る優れた資料と評価される[1]。
当時の人物や事件、世相を描いたものとして、多くの人がこの随筆の記載を引用している[注釈 1]。
成立
明和9年(1772年)4月の序文をもって、前編100巻が成立。杜口が75歳の時に抄出本(天明4年(1784年)版)が作られ、後に100巻が作成されたが、天明8年(1788年)正月の京都の大火で焼失。その後も編述は続き、寛政3年6月(1791年)、杜口が82歳の時に後編100巻が完成した[注釈 2]。寛政4年(1792年)西山拙斎の序には、明和年中に100巻が成立し、天明年中にさらに100巻が成立したものの、天明の大火で数十巻を焼失したため、これに補足したという経緯が書かれている[1]。ほかに、寛政3年正月伴蒿蹊、天明8年正月同塵館主人の序がある[1]。
『翁草』は写本として成立した後、以下のような版本も作成されたが、各本には収録されている話に差異がある。
- 嘉永4年(1851年)[注釈 3]池田東籬亭の校訂本 - 全5巻。全体の一部のみ収録。活字化され、続帝国文庫五十篇、日本随筆全集第十五巻に収録されている
- 近藤瓶城編『存採叢書』収録
- 明治38年(1905年)[注釈 4]池近義象校訂本 - 藤井五車楼本・富岡鉄斎所蔵本・京都府立図書館本をあわせて校訂したもの
- 昭和6年(1931年)関根正直・和田英松・田辺勝哉監修、日本随筆大成編集部編『日本随筆大成十一巻・十二巻・十三巻』 - 明治38年版をもとにしたもの
- 昭和45年(1970年)版 - 明治38年版を4冊にまとめて復刻したもの。進士慶幹解説
ほかに、国立国会図書館蔵上野本『異本翁草』(200巻60冊)がある。随筆大成本などと重複するところが一部あるが、内容には相違がある。
翁草を元にした作品
森鷗外の『高瀬舟』や『興津弥五右衛門の遺書』は『翁草』を素材としており、菊池寛の『入れ札』もこの著から着想を得たと推定されている。元になったエピソードは、下記のとおり。
杜口が参考にした書籍
- いろは弁
- 同文通考
- 赤穂義人録
- 国朝旧章録
- 万国夢物語
- 当用書札曽我家書
- 新安手簡
- 鳩巣小説
- 春画
- 年山紀聞
- 春台独語
- 国本論
- 求言録
- 鸚鵡言
- 資治清要
- 関の秋風
- 見教鑑
- 改正武野燭談
- 元宝荘子
- 三王外記補註
- 武将感状記
- 常山紀談
- 別所記
- 戸川記
- 老人雑話
- 長崎実記
- 国学忘貝
- 堀内伝右衛門聞書
- 沢庵和尚道の記
- 古学先生和歌集
- 飛鳥井卿吉野記
- 冷泉卿嵯峨記
上記のうち、『いろは弁』から『春台独語』の左列の書と『求言録』の12冊は、池辺義象校訂本からは冊数が膨大なことと他の刊行物にもよく見られること[注釈 9]から改めて収録する必要は無いとして除かれている。1978年版『日本随筆大成』でも同様に省略しているが、巻三十三の武田勝頼の条に附する貼紙、巻三十五の天竺徳兵衛事の条、明和9年の自序、安永8年の那波魯堂の漢文序の他、伴嵩蹊(寛政3年春)、西山拙斎(同4年)、同塵館主人灌(天明8年正月)、僧蝶夢の序を翻刻している。
脚注
注釈
- ^ 佐藤雅美『江戸の税と通貨 徳川幕府を支えた経済官僚』 太陽企画出版、27頁。山下昌也『実録 江戸の悪党』学研新書、69-70頁。丹野顯『江戸の盗賊 知られざる“闇の記録”に迫る』青春出版社、133-134頁。高埜利彦編『日本の時代史15 元禄の社会と文化』吉川弘文館、139-140頁。丹野顯『「火附盗賊改」の正体 幕府と盗賊の三百年戦争』集英社新書、127-129、148-149頁。鈴木康子『長崎奉行の研究』思文閣出版、241-242頁。永山久夫『江戸めしのスゝメ』 メディアファクトリー新書、49-50頁。安高啓明『踏絵を踏んだキリシタン』 吉川弘文館、6、80頁。清水昇『江戸の隠密・御庭番』河出書房新社、168頁。水谷三公『江戸の役人事情―『よしの冊子』の世界』ちくま新書、136頁。尾脇秀和『壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分』 NHK出版、189-190頁。大石学『新しい江戸時代が見えてくる 「平和」と「文明化」の265年』吉川弘文館、39、77-78頁。仁科邦男『「生類憐みの令」の真実』草思社、92頁。赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』講談社選書メチエ、114頁。
- ^ 1988年(昭和63年)3月、宗政五十緖(当時は龍谷大学文学部教授)は、杜口の実家の入江家子孫宅(杜口は10歳時に、京都西町奉行所与力入江家から京都東町奉行所与力神沢家に養子に入った)で、『翁草』の杜口自筆原本(一部他筆含む)を発見した(京都新聞 昭和63年3月26日夕刊記事「宗政龍大教授 著者自筆の原本と確認 枚方の子孫保存」を参照)。だが宗政は、原本(以下、入江家蔵本)の研究を特に進めることもなく(この件に関する研究論文はない)2003年に没した。入江家蔵本はそのまま入江家に置き忘れられた形になっていた。2019年、奥野照夫は、転居して所在が判らなくなっていた入江家蔵本を再発見した。さらに奥野は、入江家蔵本が翁草の自筆原本であることを再検証、自筆原本に間違いないことを発表した(日本近世文学会2020年度秋季大会発表「奥野照夫:『翁草』自筆原本の書誌学的考察」を参照)。
- ^ 『国史大辞典』第2巻によれば、嘉永3年(1850年)刊行。
- ^ 『国史大辞典』第2巻によれば、明治39年(1906年)刊行。
- ^ 『日本随筆大成 第3期 22』、201-202頁。
- ^ 『日本随筆大成 第3期 19』、127-128頁。
- ^ 加藤清正の家臣。
- ^ 『日本随筆大成 第3期 19』、365頁。
- ^ 「普く世にありふれたるもの」。
出典
- ^ a b c d e f 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第1巻』岩波書店、1983年10月、471頁。
書誌
- 神沢貞幹『翁草(上) 原本現代訳』教育社新書、1980年。
- 神沢貞幹『翁草(下) 原本現代訳』教育社新書、1980年。
- 日本随筆大成編輯部編『翁草 日本随筆大成 第3期』吉川弘文館、1978年。 19-24巻
- 『随筆百花苑 10 風俗世相篇四』宗政五十緒責任編集、中央公論社、1984年。「異本翁草」を抄録
参考文献
外部リンク
- 翁草 : 校訂 (五車楼書店, 1906)国立国会図書館デジタルコレクション