織田 信陽(おだ のぶあき/のぶあきら)は、江戸時代後期の大名。大和国柳本藩11代藩主。通称は芳次郎。官位は従五位下・大和守、越前守、安芸守。尚長流織田家11代。
生涯
10代藩主・織田秀綿の七男として誕生。初名は秀員、秀美、秀陽。
父・秀綿の嫡男だった次兄・秀便の死去により、寛政11年(1799年)10月6日、嫡子となる。文化3年(1806年)12月18日、父の死去により、家督を相続する。文化9年(1812年)11月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見した。同年12月16日、従五位下大和守に叙任された。文政5年(1822年)、駿府加番を命じられる。
文政7年(1824年)12月、池田定常の八女・鎮子と結婚する。文政13年(1830年)11月、柳本陣屋が全焼する。文武の奨励や門閥にとらわれない人材登用、人員整理や知行削減などの藩政改革を行なった。嘉永5年(1852年)12月27日に無城から城主格に昇進した。
安政4年(1857年)8月25日、死去。享年63。墓所は奈良県天理市柳本の専行院。
系譜
子女は11男9女。
脚注
- ^ 7000石を領した大身旗本。
|
---|
織田氏 (平姓) | |
---|
|
伊勢守家 | |
---|
大和守家 | |
---|
|
因幡守家 | |
---|
藤左衛門家 | |
---|
弾正忠家 | |
---|
|
信長流 |
|
---|
信勝流 |
|
---|
信包流 |
|
---|
信治流 |
|
---|
長益流 |
|
---|
柳本藩11代藩主 (1806年 - 1857年) |
---|
- 尚長1615-1637
- 長種1637-1643
- 秀一1643-1687
- 秀親1687-1709
- 成純1709-1724
- 秀行1724-1726
- 信方1726-1741
- 秀賢1741-1763
- 長恒1763-1766
- 秀綿1766-1806
- 信陽1806-1857
- 信成1857-1868
- 信及1868-1871
- 廃藩置県
|