綾部 鎮幸(あやべ しげゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。肥前国白虎山城主。神代勝利、八戸宗暘、小田政光、筑紫惟門などに代表される東肥前十九城将の一人[1]。
略歴
綾部泰幸の子として誕生。
肥前綾部庄の地頭・綾部通俊の末裔。天文20年(1551年)、村中城[2]に拠っていた龍造寺隆信の宗家相続に反対し、龍造寺鑑兼に属した[1]。
永禄元年(1558年)の江上武種攻めに従い、天正3年(1575年)以降も龍造寺氏に従って活躍した[1]。
脚注
- ^ a b c d 『戦国人名事典 コンパクト版』、57ページ中段右
- ^ 現在の佐賀城。
出典