細川 興誠(ほそかわ おきざね)は、江戸時代中期の常陸国谷田部藩の世嗣。通称は主馬。
略歴
大納言姉小路公量の四男として誕生した。正室は細川興栄の娘。
父・公量の母方の祖母(高辻遂長室)が谷田部藩初代細川興元の娘であるという縁があり、養子入り以前から興栄の許可を取って細川主馬と名乗っている。
宝永6年(1709年)、第4代藩主・細川興栄の嫡子・興貞が早世したため、興栄の娘婿となって谷田部藩嫡子の座に就いた。公家の子弟が武家に養子入りするのは珍しい事例である。
しかし正徳5年(1715年)、病弱を理由に廃嫡された。廃嫡の理由は表向きは病弱であるが、酔って家臣を斬殺したためとされる。代わって長男の興虎が嫡子となった。享保13年(1728年)に42歳で死去した。
系譜
- 父:大納言姉小路公量
- 母:不詳
- 養父:細川興栄(1658-1738)
- 正室:細川興栄の娘