筑前共愛公衆会(ちくぜんきょうあいこうしゅうかい。別名:筑前共愛会)は、不平等条約改正と国会開設要求の運動を目的として[2]、1879年(明治12年)12月に設立され、福岡県を地盤とした地方自治組織。設立当初の名称「筑前国州会」から改称して「筑前共愛公衆会」とした。
沿革
福岡県(筑前、筑後、豊前)のうち筑前地域を1区15郡933町に分け、その代表会組織として存立した。名称が長いため、略称として「共愛会」、「共愛公会」が用いられた。思想的な指導機関として向陽社(後の玄洋社)が背後にある。全国に先がけて、『国会開設及び条約改正之建言』の建議を元老院に提出した。会長は小野隆助(玄洋社員、衆議院議員、香川県知事)。副会長は箱田六輔(玄洋社員)。両者とも後の玄洋社の社員となった。
脚注
参考文献
- 頭山統一 著、『筑前玄洋社』葦書房、1977年刊
- 浦辺登 著、『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年刊
- 浦辺登著『玄洋社とは何者か』弦書房、2020年、ISBN978-4-86329-154-5
- 石瀧豊美 著、『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年
- 岡義武「明治十三年に於ける筑前共愛會の憲法私案」『国家学会雑誌』第47巻、第12号、東京大学大学院法学政治学研究科、69頁、1933年。NDLJP:10219432/36。