第58爆撃団(だい58ばくげきだん)(英語:58th Bombardment Wing)はアメリカ陸軍航空軍第20空軍、第20爆撃集団隷下の爆撃団。
「第58爆撃航空団」[1]あるいは「第58航空団」[2]とも呼ばれる。
概要
第58爆撃団は第20爆撃集団隷下の爆撃団として米軍最初に編成されたB-29の爆撃部隊である。
司令は当初ラベーヌ・G・サンダース(英語版)准将(1944年4月-1945年2月)で、のちドワイト・O・モンテス(Dwight O Monteith)大佐(1945年2月-1945年4月)に交代した[3]。そのあと、ロジャー・M・レイミー(英語版)(Roger Maxwell Ramey)准将が1945年4月24日-1946年11月1日の間、司令となった[4][5]。
隷下に第40爆撃群、第444爆撃群、第462爆撃群、第468爆撃群の四爆撃連隊(Bomber Group)[6]を有し、各爆撃群は四爆撃隊から編成された。数多くの戦果をあげたが、ジェネラル・H・H・アーノルドスペシャルが被弾して帰還不能となり、ソ連に鹵獲されてTu-4の原型にされるなど、数多くの不名誉も記録している。
隷下部隊
基地編成および司令官(1944年10月時点)
第58爆撃団(第20爆撃集団)の1944年10月時点における基地編成および司令官。
1944年当時、日本の都市を空襲するときは、インドの基地から2・3日前に中国成都近くにあった4つの基地に移動し、準備を整えて出撃した。
空襲の実績
インドの基地から
- 1944年6月5日、作戦任務1(Mission 1)タイ王国首都バンコクのマッカサン鉄道工場を空襲。当時、日本が進駐し泰緬鉄道を建設していた[11]。
- 1944年11月27日 作戦任務 18(Mission 18)タイ王国 バンコクの バンスー操車場(The Bansue Marshalling Yards)を空襲 [12]
中国・成都の基地から
- 1944年6月15-16日 作戦任務2(Mission 2)八幡空襲
- 1944年8月20-21日 作戦任務 7(Mission 7)八幡空襲
- 1944年10月25日 作戦任務 13(Mission 13)大村大空襲
- 1944年12月7日 作戦19 (Mission 19) 満州(奉天 Mukden)[13]
- 1944年12月18日 作戦任務 21 (Mission 21)漢口大空襲
マリアナ諸島 テニアン基地から
- 1945年 5月4日 作戦任務 146 (Mission 146)呉 を空襲。第73爆撃団とともに広海軍工廠を目標とした。
- 1945年6月17日 作戦任務 207(Mission 207)大牟田空襲
- 1945年7月9-10日 作戦任務257 (Mission 257) 仙台空襲
- 1945年7月28-29日 作戦任務297、298 (Mission 297,298 ) 津空襲、青森空襲 [注釈 1]
- 1945年8月7日 作戦任務321 (Mission 321) 福山大空襲
- 1945年8月8日 作戦任務319 (Mission 319) 八幡大空襲 第58爆撃団、第73爆撃団、第313爆撃団の3つの爆撃団で空襲を実施。
関連項目
脚注
注釈
- ^ 第58爆撃団を構成する4つの部隊(四爆撃連隊)を2つに分け、津空襲と青森空襲を2部隊ずつで行った。
出典
外部リンク