ガッリエヌス が第3軍団イタリカ を称えて260年に発行したアントニニアヌス 。表面のコウノトリは軍団のシンボルである。軍団はVI Pia VI Fidelis (六たび忠にして六たび誠なり)と称えられている。
第3軍団イタリカ (イタリア語 : Legio III Italica )は、ローマ軍団 の一つで、マルコマンニ 族に対する戦役のためにマルクス・アウレリウス・アントニヌス が165年ごろに徴募して編成した。イタリカ という通称から、兵はイタリア で徴募されたことが窺える。この軍団は5世紀初頭に至っても、なおゲルマニアにおいて現役であった(約420年頃の西ローマ帝国の文献『ノティティア・ディグニタートゥム 』の記載による)。
概要
第2軍団イタリカ および第1軍団アディウトリクス とともに、第3軍団イタリカはその設立当初からドナウ川 沿いの属州 にあって、マルコマンニ族 によるラエティア およびノリクム 属州に対する侵攻(マルコマンニ戦争 )に対して抗戦していた。171年には、第3軍団イタリカは現在のレーゲンスブルク に「Castra Regina」(カストラ の項を参照)という強固な防衛拠点を建設した。
193年の内戦では、第3軍団イタリカはセプティミウス・セウェルス を支えて、彼の敵であったペルティナクス とディディウス・ユリアヌス をまず破り、さらにペスケンニウス・ニゲル とクロディウス・アルビヌス を破った。第3軍団イタリカは引き続きセプティミウスの後継者であるカラカラ 帝に忠誠を尽くし、213年にはアレマン人 に対する戦役に従事した。
第3軍団イタリカ・ゴルディアーナという通称が記録されていることから、この軍団の隷下部隊は243~244年のゴルディアヌス3世 によるサーサーン朝 に対する戦役に従軍していた。
ドナウ川方面の強力な陸軍兵力の一部として、第3軍団イタリカは3世紀に頻繁に発生した権力闘争(3世紀の危機 )においても、その一翼を担った。第3軍団イタリカはガッリエヌス 側について、彼の敵であるマルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス と戦い、その功績により「VI Pia VI Fidelis」(六たび忠にして六たび誠なり)、さらに「VII Pia VII Fidelis」(七たび忠にして七たび誠なり)との通称を以て称えられた。
第3軍団イタリカの本営は、引き続きレーゲンスブルクにあったが、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス 帝が率いたパルミラ帝国 に対する273年の戦役に従軍した。
第3軍団イタリカから抽出されたコミタテンケス 部隊Tertiani Italica の盾章
第3軍団イタリカ隷下のコミタテンケス (野戦軍)部隊は、『ノティティア・ディグニタートゥム』という書物の中で、5世紀初頭に至ってもなお Castra Regina とドナウ方面の属州に駐屯していると書かれている。
関連項目
外部リンク