種里城(たねさとじょう)は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町種里町にあった日本の城(山城)。国の史跡に指定されている(史跡「津軽氏城跡」のうち)[1][2]。
概要
種里城は、津軽氏発祥の地として知られている[3]。城は、赤石川の上流、種里集落の西南約500メートルに位置し、前面は赤石川、背後は大柳沢山嶺をひかえた、東向きの山城である。本丸跡の西南に光信公御霊墓があり、御廟館とも言われている。また、近くに殉死した奈良主水貞親の墓がある[4]。
2002年(平成14年)に弘前城跡や堀越城跡とともに「津軽氏城跡」として国史跡に指定された[5]。また周辺は津軽白神県立自然公園に飛地で指定されている[6]。
歴史
1491年(延徳3年)、大浦光信によって築城された。1502年(文亀2年)、光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信死後は大浦城が大浦氏の本拠となり、種里城は支城として江戸時代初めまで使われた[2]。その後種里城は津軽氏の聖地として保存されたが、明治時代に入って遺構は破壊された[7]。
1988年、跡地に資料館「光信公の館」が建設されることに伴い発掘調査が行われ、その後種里城跡の解明を目的とした学術調査が、1991年から1997年まで続けられた[8]。
画像
-
本丸跡
-
主殿跡
-
大浦光信像
-
「種里城址」碑
-
資料館「光信公の館」
出典
関連文献
関連項目