石川 総良(いしかわ ふさよし)は、伊勢神戸藩の第2代藩主。伊勢亀山藩石川家分家2代。
寛永19年(1642年)、初代藩主石川総長の長男として生まれる。寛文元年(1661年)、父の死により家督を相続した。
延宝8年(1680年)閏7月、現大阪府千早赤阪村の「楠木正儀の墓」とされる五輪塔の前に石燈を寄進した。ただし、総良の時代に正儀の墓という伝承があったかは不明(詳細は楠木正儀#墓所・史跡などを参照)。
天和元年(1681年)12月、駿河田中藩主酒井忠能の改易では、仙石政明や本多忠恒らと共に田中城受け取りを担当した。
貞享2年(1685年)6月29日に死去した。享年44。跡を長男の総茂が継いだ。
系譜
父母
正室
側室
子女
石川家 神戸藩2代藩主 (1661年 - 1685年) |
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一柳家 | |
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石川家 | |
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本多家 | |
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