帝国特認皇帝フェルディナント北部鉄道(ドイツ語: k.k.privilegierte Kaiser Ferdinands-Nordbahn, KFNB, チェコ語: c.k. priv. Servini draha cisare Ferdinanda)は、オーストリア=ハンガリー帝国および継承国チェコスロバキアの私設鉄道会社・鉱山会社であった。フェルディナント北部鉄道の本線はウィーンから北モラヴィアと現在のチェコ・シュレジエンを経て、クラーカウとボフニア岩塩杭まで至った。この会社は石炭運搬鉄道を除外して1906年に国有化されて、炭鉱鉄道は1945年まで独立事業体として存続した。1919年に社名はフェルディナンド北部鉄道(チェコ語: Severní dráha Ferdinandova)に変更された。
フランツ2世の死後、ロートシルトは建設許可を再び申し込んで、メッテルニヒ侯爵とコロヴラト伯爵(Franz Anton Graf von Kolowrat-Liebsteinsky, 1778~1861)の支援によってフェルディナント1世から許可を獲得した。1836年3月4日にロートシルトはウィーン - ボフニャ区間に蒸気機関車向けの鉄道敷設のため、無期限の特権(Privileg)を獲得して、「皇帝フェルディナント北部鉄道(Kaiser-Ferdinands-Nordbahn, KFNB)」という路線名を提案した[2]。約600 kmの路線距離はイギリス以外で最も長い距離の一つであった。鉄道建設の特権はブルノ、オロモウツ、オパヴァ方面鉄道路線の場合にも含まれていた。
Alfred Horn: Die Kaiser-Ferdinands-Nordbahn; Band 2aus: Die Bahnen Österreich-Ungarns Bohmann Verlag, 1970.
Ansichten der Ferdinands-Nordbahn. Nachdruck der kolorierten Panoramen um 1840. Mit einem Nachwort von Erich Woldan. Harenberg Verlag, Dortmund 1980 (= Die bibliophilen Taschenbücher. Band 223)