白石 宗直(しろいし むねなお)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。梁川宗清の長男。登米伊達家初代当主。
生涯
天正5年(1577年)、伊達氏の家臣・梁川宗清の子として誕生。
慶長4年(1599年)、岳父・白石宗実の養子となり胆沢郡水沢城主となる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは上杉景勝の領地となっていた白石城の攻略戦、慶長出羽合戦で最上義光の援軍として活躍した。
同年、主君・伊達政宗の命を受け、南部氏に反乱を起こした和賀忠親を支援する(岩崎一揆)。ところが、この一件により伊達家は徳川家康との禄高100万石加増の約束「百万石のお墨付き」が反故にされたため、慶長9年(1604年)、宗直は責任を取って登米郡寺池城へ転封となった。同地では、城下町の発展や河川の整備などに積極的に取り組み、領地を大いに発展させた。
大坂の陣では宇和島で政宗の長男・伊達秀宗を出迎え、道明寺の戦いなどで大いに功を挙げ、元和2年(1616年)には伊達姓の名乗りを許された。これにより宗直の系統は登米伊達家と呼ばれるようになった。
寛永6年(1629年)に、53歳で死去した。
大正7年(1918年)、正五位を追贈された[1]。
系譜
脚注
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.45