田泉 保直(たいずみ やすなお、1888年9月22日 - 1960年10月4日)は、日本の映画カメラマンである。
白瀬矗陸軍中尉によって行われた日本初の南極探検に、M・パテー商会(現在の日活の前身の一社)の撮影技師として派遣され、その記録映画を撮影した。
経歴
1888年(明治21年)9月22日、東京府京橋区八官町で生まれる。
1908年(明治41年)、梅屋庄吉のM・パテー商会に入社。
1911年(明治44年)11月、シドニーで待機中の白瀬南極探検隊に合流して、第二次南極探検(1911 - 12年)の記録映画(「日本南極探検」)を撮影する。
南極から帰国後、映画会社4社が合併した日活の創立にも参加したが約半年で退社。
その後、松竹蒲田撮影所などに勤務し、初期の日本劇映画界の撮影技師として活躍した。
戦時中、福島県岩瀬郡浜田村(現、福島県須賀川市)へ疎開をして、同地にて1960年(昭和35年)10月4日死去。
おもなフィルモグラフィ
- 1912年6月28日 日本南極探検(M・パテー商会)※現存
- 1921年5月27日 温泉の一夜(松竹蒲田)※現存せず
- 1921年6月17日 渦巻く潮(松竹蒲田)※現存せず
外部リンク