生地 竹之助(おいじ たけのすけ、1894年(明治27年)1月16日 - 1959年(昭和34年)3月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。
経歴
1894年(明治27年)に和歌山県で生まれた。陸軍経理学校第9期主計候補生として1915年(大正4年)5月19日に卒業した。1939年(昭和14年)8月に陸軍航空技術研究所所員に就任し、1941年(昭和16年)3月に陸軍主計大佐に進級した。1942年(昭和17年)4月に奉天陸軍糧秣支廠長に転じ、1944年(昭和19年)2月19日に北方軍司令部附となり[5]、3月10日に第27軍経理部長に就任した。
1945年(昭和20年)1月29日に東北軍管区経理部長兼第11方面軍経理部長に就任し[6]、6月10日に陸軍主計少将に進級。終戦時は宮城県仙台に位置した。1946年(昭和21年)3月30日に予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]。
脚注
参考文献