熙嬪洪氏(きひん こうし、ヒビン ホンシ、희빈 홍씨、1494年5月27日 - 1581年12月11日)は、李氏朝鮮の第11代国王中宗の後宮。錦城君(朝鮮語版)と鳳城君(朝鮮語版)の生母。本貫は南陽洪氏。
洪景舟(朝鮮語版)の次女として誕生。父の洪景舟は中宗反正に尽力した功臣の1人であった。1506年で揀択により、淑儀として入宮。昭儀、貴人を経て正一品の嬪に冊立された。中宗の寵愛を得て、父の政敵であった士林派排除に助力した。1528年の灼鼠の変(中国語版)では仁宗の暗殺未遂を疑われたが、敬嬪朴氏が賜死することになった。1545年には尹汝諧の謀反に次男の鳳城君(朝鮮語版)共々、陰謀を疑われると洪氏は宮殿を追われた[1]。1547年、凰城君は王命で自刃して果てた[2]。
1581年12月11日、87歳で長寿を全うした。
家族
- 父:洪景舟(朝鮮語版)(生年不詳 - 1521年)
- 母:安東権氏
- 兄:洪遇龍
- 姉:金明胤(朝鮮語版)夫人
- 夫:中宗
- 長男:錦原君 李岭(朝鮮語版)(1513年 - 1562年)[3]
- 嫁:海州鄭氏
- 孫娘:李氏夫人(1537年 - 没年不詳)
- 次男:鳳城君 李岏(朝鮮語版)(1528年 - 1547年)
- 嫁:東菜鄭氏
- 孫娘:貞敬夫人李氏(1545年 - 1610年)
- 他3人王子がいたが、いずれも夭折。
熙嬪洪氏を演じた俳優
脚注