源 季兼(みなもと の すえかね、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。醍醐源氏、土佐守・源俊兼の子。官位は正四位下・木工権頭。
経歴
鳥羽院政期に長く木工権頭を務めたほか、対馬守・遠江権守・豊後守・石見守などの地方官を歴任する。
摂関家の藤原忠通に家司として仕え、摂関家政所の経営を担当した[1]。また、康治2年(1143年)父・源俊兼から伝領した能登国珠洲郡の500町におよぶ大規模荘園である若山荘を、忠通の娘である藤原聖子(皇嘉門院)に寄進し、領家職を確保した。のちに、荘園本家は九条家に伝えられ、季兼の子である季長以降の子孫も九条家に仕えるようになる[1][2]。また、領家職は季兼の娘婿となった日野資長の子孫が継承している[2]。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
- ^ a b 『朝日日本歴史人物事典』
- ^ a b 『日本人名大辞典』
- ^ 『中右記』
- ^ 『知信記』
- ^ 『京都大学所蔵東大寺文書』5-1955
- ^ 『平安遺文』補69
- ^ a b 『本朝世紀』
- ^ 『平安遺文』2856
- ^ 『兵範記』保元2年正月24日に藤原永範の任官記事あり。
- ^ 『尊卑分脈』
参考文献