湯原 宗綱(ゆはら むねつな)は、戦国時代の武将。尼子氏の家臣。伯耆国時山城主。
湯原氏は出雲国の国人。大永7年(1527年)、父・湯原信綱から伯耆時山城を譲り受け城主となった。天文9年(1540年)の尼子詮久(後の晴久)による吉田郡山城の戦いに出陣した。宗綱はこの戦いで奮戦したが、池ノ内の戦いで、小早川興景や大内氏援軍・杉元相、粟屋元良らに挟撃されて進退窮まり自害した。
現在でも、安芸高田市吉田町池内に宗綱の腹切岩が残っている。
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