游 錫堃(ゆう しゃくこん、ヨウ シークン、1948年〈民国37年〉4月25日 - )は、中華民国(台湾)の政治家[1]。元立法院長[2]。
民主進歩党(民進党)主席、総統府秘書長、行政院長を歴任した[3]。民進党「四天王」の一人とされる[4]。陳水扁総統の直系に属するが、自身の政治基盤は比較的弱い[5]。そのため、謝長廷、蘇貞昌の2人に遅れをとり、2008年総統選挙での党公認を得られなかった[6]。
経歴
農家に生まれる。13歳の時に父が結核で死去したため、宜蘭中学(今は国立宜蘭高級中学)を中退し農業に専念。その後、19歳の時に夜間学校に入学し、1985年に東海大学社会科学部政治学科を卒業した。政治の世界に触れると同時に、民主進歩党に入党している[7]。
1981年から1989年まで、台湾省議会第7~8期議員[8]。
1989年から1997年まで、宜蘭県長[9]。
1998年から1999年まで、台北大衆捷運股份有限公司董事長(会長)[10]。
1998年から2001年まで、台北芸術大学教授[11]。
1999年から2000年まで、民進党秘書長[12]。
2000年、行政院副院長[13]。
2000年から2002年まで、総統府秘書長[14]。
2002年から2005年まで、行政院長[15]。
2005年、総統府秘書長[16]。
2006年から2007年まで、民進党第十一代党主席[17]。
2007年9月21日、首長特別費(交際費)を偽造した領収書で引き出し、不正に使用したとして横領罪などの容疑で、呂秀蓮副総統、陳唐山国家安全会議秘書らと共に台湾の検察当局に起訴された[18][19]。
2020年の第10回立法委員選挙で比例代表から出馬し当選。同年2月1日の立法院長選挙で立法委員113人中73票を得て立法院長に当選[20]。
2024年の第11回立法委員選挙でも比例代表から出馬し再選されたが、同年2月1日の立法院長選挙で再選に失敗したため、同日に立法委員を辞任[21]。
選挙記録
年度
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選挙
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選挙区
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所属政党
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得票数
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得票率
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当選
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注釈
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1981
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第7回台湾省議員選挙
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宜蘭県選挙区
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無党籍
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41,631
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24.27%
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1985
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第8回台湾省議員選挙
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88,555
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43.98%
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1989
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第11回宜蘭県長選挙
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宜蘭県
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民主進歩党
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119,037
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54.48%
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1993
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第12回宜蘭県長選挙
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116,959
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57.49%
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2008
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第7回立法委員選挙
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不分区および海外華僑枠
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3,610,106
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36.91%
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2012
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第8回立法委員選挙
|
4,556,424
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34.62%
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2014
|
第2回新北市長選挙
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新北市
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934,774
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48.78%
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2020
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第10回立法委員選挙
|
不分区および海外華僑枠
|
4,811,241
|
33.98%
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2024
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第11回立法委員選挙
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4,982,062
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36.16%
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脚注
外部リンク
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- 胡漢民(1928-1931)
- 林森(未就任)
- 邵元沖*(1931-1932)
- 張継(未就任)
- 覃振*(1932)
- 邵元沖*(1932-1933)
- 孫科(1933-1948)
- 孫科(第1代、1948)
- 童冠賢(第1代、1948-1949)
- 劉健群*(第1代、1949-1950)
- 劉健群(第1代、1950-1951)
- 黄国書*(第1代、1951-1952)
- 張道藩(第1代、1952-1961)
- 黄国書(第1代、1961-1972)
- 倪文亜*(第1代、1972)
- 倪文亜(第1代、1972-1988)
- 劉闊才*(第1代、1988-1989)
- 劉闊才(第1代、1989-1990)
- 梁粛戎*(第1代、1990)
- 梁粛戎(第1代、1990-1991)
- 劉松藩*(第1代、1992)
- 劉松藩(第1・2・3代、1992-1999)
- 王金平(第4・5・6・7・8代、1999-2016)
- 蘇嘉全(第9代、2016-2020)
- 游錫堃(第10代、2020-2024)
- 韓国瑜(第11代、2024-)
|
*は署理。 |