清峯 門継(きよみね の かどつぐ)は、平安時代初期の貴族。氏は清岑とも記される。氏姓は竹田臣のち清峯宿禰、清峯朝臣。官位は従四位下・縫殿頭。
出自
清峯氏(清岑氏)は、阿倍氏の一族である竹田氏(竹田臣)の後裔氏族。
経歴
左京の人。弘仁4年(813年)一族5人と共に、竹田臣から清岑宿禰に改姓する(この時の位階は従八位下)。嵯峨天皇に重用されて、左衛門少尉に抜擢される。弘仁12年(821年)外従五位下・上野介に叙任され、翌弘仁13年(822年)右馬助に転じた。
淳和朝では昇進の機会がなかったが、天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴い内位の従五位下に叙せられる。仁明朝では、駿河介・長門守・典薬頭・備後守・縫殿頭と内外の諸官を歴任した。またこの間、承和3年(836年)に宿禰から朝臣に改姓している。承和13年(846年)正五位下、承和15年(848年)従四位下と仁明朝末に昇進した。
のち、難波に隠居するが、斉衡2年(855年)閏4月7日に病により卒去。享年74。最終官位は散位従四位下[1]。
人物
世俗の事柄に熟練して深く通じていたが、他に才学はなかったという[1]。
官歴
『六国史』による。
脚注
- ^ a b 『日本文徳天皇実録』斉衡2年閏4月7日条
参考文献