海南市立北野上小学校

海南市立北野上小学校
地図北緯34度11分0.9秒 東経135度17分33.2秒 / 北緯34.183583度 東経135.292556度 / 34.183583; 135.292556座標: 北緯34度11分0.9秒 東経135度17分33.2秒 / 北緯34.183583度 東経135.292556度 / 34.183583; 135.292556
過去の名称 北野上尋常高等小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 海南市
併合学校 孟子尋常小学校
七山尋常小学校
別院尋常小学校
設立年月日 1908年3月9日
共学・別学 男女共学
分校 七山分校(2009年より休校)
学校コード B130210000594 ウィキデータを編集
所在地 640-0452
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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海南市立北野上小学校(かいなんしりつ きたのかみしょうがっこう)は、和歌山県海南市孟子にある公立小学校

設立の経緯

北野上村は、中央を川が横断しており、村の統一上、非常に不便であった。故に、学校は孟子、七山、別院の3校に分立しており、教育上、及び経済上多大なる不利があった。村民から合併の希望があったが、川に主となる橋が無く、通学の不便と、増水時の危険があることによって、合併が難航していた。明治40年、小学校令改正に伴い、各小学校でも学級増加、校舎増築の必要に迫られることとなり、合併は急を要することとなった。翌年、村会において、各小学校を廃して小学校を1校設置すること。児童通学を安全にするため、村中央に橋を架設すること。学校の位置は抽選により河北に本校、河南に分校を置き、本校の位置は村両端より測量して中央にすることを決議する。

統合前の年表

孟子尋常小学校

孟子尋常小学校(もうこじんじょうしょうがっこう)は、和歌山県海南市にあった小学校学制発布に伴い、孟子村にあった寺子屋を前身として創立。もとは、専称寺の下のところにあったが、荒糸に移転した。孟子村高津村 (和歌山県)の子どもたちが通った。

  • 1863年(文久3年) - 孟子村寺子屋ができる。
  • 1875年(明治8年)3月11日 - 孟子村字堂ノ尾221番地に創立。
  • 1876年(明治9年)9月 - 孟子村字ノ尾247番地に新築移転する。
  • 1883年(明治16年)9月 - 組合連合から野尻村が分離し、生徒数が減少。
  • 1897年(明治30年)6月15日 - 高津簡易小学校と合併するが、様々な理由により、高津簡易小学校はそのまま存続し、本校へ入学する者は少なかった。
  • 1901年(明治34年)8月15日 - 高津簡易小学校と全面合併。孟子馬ノ背825番地に新築移転する。
  • 1908年(明治41年)3月 - 孟子尋常小学校、七山尋常小学校、別院尋常小学校が合併し、北野上尋常高等小学校が創立する。同日廃校。

七山尋常小学校

七山尋常小学校(ななやまじんじょうしょうがっこう)は、和歌山県海南市にあった小学校七山村 (和歌山県)原野村の子どもたちが通った。学級数単級。修業年数4ヶ年。授業料金5銭であった。

  • 1876年(明治9年)7月1日 - 七山村字岩谷79番地に創立。
  • 1881年(明治14年)9月 - 長谷村に分校開校。
  • 1884年(明治17年)10月 - 下津野村を加え、原野村七山村 (和歌山県)の3村連合となる。
  • 1887年(明治20年)5月 - 長谷村分校閉校。
  • 1887年(明治20年)7月 - 下津野村を分離し、原野村七山村 (和歌山県)の2村連合に戻る。
  • 1908年(明治41年)3月 - 孟子尋常小学校、七山尋常小学校、別院尋常小学校が合併し、北野上尋常高等小学校が創立する。同日廃校。

別院尋常小学校

別院尋常小学校(べついんじんじょうしょうがっこう)は、和歌山県海南市にあった小学校別院村にあった寺子屋を前身として金剛遍寺境内に創立。別院村野尻村 (和歌山県)下津野村の生徒が通学した。

  • 1855年(安政2年) - 別院村に寺子屋ができる。
  • 1878年(明治11年)6月4日 - 創立。
  • 1908年(明治41年)3月 - 孟子尋常小学校、七山尋常小学校、別院尋常小学校が合併し、北野上尋常高等小学校が創立する。同日廃校。

沿革

  • 1908年(明治41年)3月9日 - 孟子尋常小学校、七山尋常小学校、別院尋常小学校が統合され、現在の所在地に北野上尋常高等小学校として開校。初代校長に花田辰二郎就任。
  • 1911年(明治44年)- 校舎新築落成式。
  • 1928年(昭和3年)4月26日 - 運動場拡張。工費389円。
  • 1948年(昭和23年)- 進駐軍指令に基づき、給食実施。
  • 1951年(昭和26年)- 給食設備完備。
  • 1954年(昭和28年)- 新校舎2階竣工。
  • 1955年(昭和30年)4月10日 - 町村合併により、海南市立北野上小学校と改称。
  • 1956年(昭和31年)1月9日 - 新校歌制定。
  • 1958年(昭和33年)- 音楽室竣工。
  • 1965年(昭和40年)6月8日 - プール竣工。鉄筋校舎竣工。
  • 1968年(昭和43年)3月5日 - 新校舎竣工。
  • 1973年(昭和48年)3月31日 - 図書館竣工。
  • 1976年(昭和51年)6月1日 - 七山分校竣工。
  • 1980年(昭和55年)5月9日 - 屋内体育館竣工。
  • 1987年(昭和62年)10月31日 - 本館校舎増改築竣工。
  • 2009年(平成21年)3月31日 - 七山分校休校[1]

校舎・施設

本校

  • 普通教室 6教室
  • 図書室
  • 体育館
  • 多目的ホール
  • ランチルーム
  • すくすく学級
  • 児童会室
  • 特別教室(理科室・音楽室・図工室・家庭室・生活科室・コンピュータールーム)
  • 管理関係その他(校長室・職員室・保健室・公務員室・更衣室・印刷室・放送室・資料室)
  • プール

分校

  • 普通教室 1教室
  • 管理関係その他(職員室・教材室)

教育目標と分校教育

(1)教育目標

  • 一人ひとりのよさや可能性を生かし、創造性に富み、豊かな人間性や社会性をそなえた子どもの育成。

≪子ども像≫

  • 学習習慣を身につけ、進んで学び・よく考える子ども。
  • なかよく助け合い、よく働き、感動できる子ども。
  • 生活習慣を身につけ、健康でたくましい子ども。

(2)分校教育 ①目標

  • 元気でなかよく助け合う子どもの育成。

②努力点

  • 少ない人数という特性を生かす。
  • 本校との交流を大切にする。

通学区域

  • 別院・野尻・下津野・原野・高津・孟子・七山[2]

進学先中学校

通学区域が隣接している学校

脚注

  1. ^ 北野上小学校の沿革”. 海南市立北野上小学校. 2022年5月29日閲覧。
  2. ^ a b 海南市小学校及び中学校通学区域に関する規則”. 海南市教育委員会. 2022年5月29日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 「北野上小学校八十周年記念ななさと」北野上小学校八十周年記念事業実行委員会、昭和63年3月11日発行
  • 「創立100周年記念誌北野上」海南市立北野上小学校創立100周年実行委員会 平成19年3月4日発行

外部リンク

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