次原 悦子(つぎはら えつこ、1966年(昭和41年)11月16日[2] - )は、日本の実業家。サニーサイドアップグループ代表取締役[3]
。一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)ダイバーシティ推進委員会 委員長[4]。第13回スティービーアワード(英語版)女性ビジネス賞 金賞受賞[5][6]。
経歴
東京都出身[7]。
高校生の頃からクラス内でも目立つ存在で、既成概念に囚われずに行動する所を先生から「高校の枠にはまるような子ではない」と評される[7]。
1985年、高校2年生の17歳の時にサニーサイドアップを創業[7]。取締役就任。創業メンバーは当時同級生の松本理永(現:サニーサイドアップ 取締役)と実母の3人[8]当時は制服姿で営業活動することもあった[9]。
数年後、実母が再婚を機に香港へ移住になり、事業を引き継ぐ[9]。テレビ番組内の屋外ロケの天気予報コーナーにアピール看板を持って映り込むなど手段を選ばす行動[9]。
- 1997年
- 2007年
- 2008年
- 11月 株式会社フライパン 代表取締役会長 就任[12]。
- 2014年
- 2016年
- 7月 株式会社サニーサイドアップキャリア 取締役 就任[13]
- 8月 株式会社EPARKスポーツ取締役就任[13]。
- 2018年
- 2019年
- 2020年
- 1月 ホールディングス経営体制に移行し、持株会社、株式会社サニーサイドアップグループ 代表取締役社長 就任[16]。
- 2021年
- 6月 一般社団法人日本経済団体連合会 ダイバーシティ推進委員会 委員長 就任[4]。
- 2022年
人物
- 創業期
- 元々は型破りな実母の起業に巻き込まれる形での取締役就任だった[7]。
- 実母が再婚で香港移住した時は会社も取締役2人も置いて行く形だった[7]。
- 「起業当時は夢や目標はなかった。目の前のことを一生懸命にやることで、少しづつ自分の道ができた」と語る[18]。
- 19歳の時、当時扶桑社で編集長だった平田静子に出会い、出版本の宣伝の依頼を受ける[19]。それ以降親交が深まり彼女のことを『親分』と呼び[20]、2016年には株式会社サニーサイドアップキャリアの代表取締役のオファーをした[19]。
- 仕事のスタイル
- 黒子に徹しており、取材も極力受けず、写真露出も会社のアイコンでマスクするなどして必要最低限に留めている[21]。
- 著書『NAKATAビジネス』は、大学院に在籍した際の学位論文『スポーツ選手マネジメントビジネスの変遷に関する研究〜中田英寿選手のケーススタディ』を、解説・付帯資料とともに書籍化した[11][22]。
- 「正確さを求められる仕事はAIに取って代わられるが、人間らしいクリエイティブやコミュニケーションを必要とする仕事は、どんな時代もなくなる事はない」と語る[23]。
- 「私が頑張ることで後に続く女性を勇気づけたいと考えていたが、“ついていけない”と会社を去る人もいた。私のような頑張りすぎる女性の存在こそが、女性にとって“ガラスの天井”だと痛感した」と語る[24][25]。
- 私生活
- 週3回、出社前にジムトレーニングを行い、水曜日はキックボクシングを行う[26]。
- 自身のXアカウントは『サニーサイドアップグループ非公式』と明記し、オフィシャルと一線を引いてポストしている。[28]
- 2021年1月、新型コロナウイルス感染を公表[29]。当事者のリアルな情報が少なかったことをきっかけに、「人に情報を伝えることを仕事にしている身として体験を共有することで、同じ境遇にある人の不安や恐怖を少しでも和らげることもできるのでは」との思いから、リアルタイムで情報発信を行う[30][31]。
- 60歳にバックパッカーになって自分探しの旅に出ると宣言している[26]。
- 座右の銘は特に無く、ポリシーは『stay at shadow(影に留まる)』[26]。
著書
受賞歴
- 第13回スティービーアワード 女性ビジネス賞 金賞受賞(2016年)[5][6]
脚注
注釈
- ^ 現:株式会社サニーサイドアップグループ。
- ^ 現:株式会社エアサイド。
- ^ 現:株式会社グッドアンドカンパニー。
- ^ 記事作成日から推測。
出典
関連リンク
外部リンク