梅田 寛一(うめだ かんいち、1877年11月10日[1] - 1955年11月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
広島県出身[2]。1905年、日本大学法律科卒。鞆町議、沼隈郡議、広島県議、同参事会員、広島県水産組合副組合長、讃岐電気軌道(株)取締役となる[2]。
1924年の第15回衆議院議員総選挙において広島13区から政友本党公認で立候補して当選した[3]。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1955年死去。
脚注
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、27頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』96頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』76頁。
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。