桜井 家一(さくらい いえかず、? - 文禄5年(1596年)8月)は、安土桃山時代の武将。通称は佐吉、和泉守[1]。
略歴
『川角太閤記』には若輩の頃から豊臣秀吉に奉公した子飼衆の一人であり、秀吉の命によりその実弟である豊臣秀長に仕えたとある[2]。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは一番鎗の戦功を立て、丹波国内に3千石の俸禄を与えられた[1]。
天正19年(1591年)に秀長が没すると養子の秀保に仕え、その秀保も文禄4年(1595年)に亡くなると再び秀吉に仕えた[2]。しかし翌年の8月頃に死去した[1][2]。
脚注
- ^ a b c 『戦国人名事典 コンパクト版』 p366
- ^ a b c 『豊臣秀吉事典 コンパクト版』 p296
参考文献
- 『戦国人名事典 コンパクト版』 (新人物往来社、1990年、366頁。)
- 『豊臣秀吉事典 コンパクト版』 (新人物往来社、2007年、296頁。)