松浦 晋(まつうら すすむ、1902年10月20日 - 1968年4月29日)は、日本の文部官僚、実業家、パシフィック・リーグ元会長。愛媛県出身。
来歴・人物
1924年に上智大学を卒業し、文部省に入省した。社会教育官、教学官、内閣情報局情報局を歴任した。1950年に永田雅一社長の強い意向により、大映に転職し、取締役、監査役を務めた。1955年に大映スターズ球団代表に就任し、1960年に東京オリオンズ代表に就任した[2]。
1965年にパシフィック・リーグ会長に就任した[3]。
しかし、会長在職中に交通事故に合い、1968年4月29日、東京都の病院で65歳で死去した[2]。
脚注
- ^ a b 1968年4月29日 読売新聞 夕刊 p11
- ^ 1965年8月12日 読売新聞 朝刊 p9
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第20版 下』人事興信所、1959年。