松平近鎮

松平 近鎮[1](まつだいら ちかやす)は江戸時代前期から江戸時代中期の旗本松平忠昭の子。松平大学家の祖。

松平大学家の歴代当主

初代:近鎮(ちかやす)1645年1716年

父は松平忠昭。母は酒井忠正の娘。

2代:近敏(ちかとし)1697年1724年

父は大給松平家一門:松平近任。母は松平正直の娘。

3代:近方(ちかかた)1703年1735年

父は大給松平家一門:松平近則。母は不明。

4代:近明(ちかあきら)1712年1786年

父は大給松平家一門:松平近郷。母は不明。

御使番西ノ丸御小姓組を務める。

5代:近周(ちかのり)1741年1793年

父は松平近明。母は不明。

6代:近峯(ちかみね)1775年〜?年

父は松平近周。母は松平正雅の娘。

御小姓組を務める。

7代:近韶(ちかつぐ)?年〜?年

父は松平徳之輔。母は不明。

御使番田安家家老・一橋家家老・勘定奉行勝手方旗奉行を務める。

  1. ^ SGM335 (2023年12月9日). “大給松平家~府内藩の分家~”. 探検!日本の歴史. 2024年12月9日閲覧。

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