松平 勘敬(まつだいら すけゆき)は江戸時代前期から後期にかけての旗本。
島原藩4代藩主松平忠刻の父。
略歴
旗本・小笠原常春の次男として誕生。宝永3年(1706年)8月29日、母方の叔父にあたる松平重矩の養子となって家督を継ぎ、10月1日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁。
正徳4年(1714年)3月1日大坂船手に就き、5月28日に布衣の着用を許される。
享保9年(1724年)3月7日大坂町奉行に転任、4月1日従五位下日向守に叙任。享保17年(1732年)享保の飢饉の際に飢餓民救済を担当、その功績を賞され翌年8月28日時服3領と黄金5枚を賜る。
元文3年(1738年)2月28日普請奉行に転任。元文5年(1740年)8月4日小姓組番頭に転任。寛保3年(1743年)6月12日書院番頭に転任。
寛延2年(1749年)3月26日留守居に転任。同年11月13日に職を辞し、12月29日(1750年2月5日)死去。享年64。
四谷の西迎寺に葬られた。子の常唯が家督を継いだ。
系譜
父母
子女
脚注
- ^ 勘太郎。信重系長沢松平家。
参考文献