松平 乗喬(まつだいら のりたか)は、江戸時代後期の大名。美濃国岩村藩主。乗政流大給松平家7代。官位は従五位下・能登守。
略歴
文政4年(1821年)、先代藩主・松平乗美の次男として生まれた[1]。
天保11年(1840年)、諸太夫・靱負佐に任じられる。
天保13年(1842年)11月16日、父の隠居により岩村藩主となった。
天保14年(1843年)1月、諱を乗喬に改め、従五位下・能登守に叙位・任官された。
佐藤一斎の門人の中島勿堂・田辺恕亭を招聘し、中島勿堂を江戸詰儒員とし、田辺恕亭を藩校の知新館の儒員として学問を奨励した。
嘉永3年(1850年)2月、大坂加番に任じられたが、7月に病気となり役を退いた。
嘉永4年(1851年)6月13日、奏者番に任じられた。
安政2年(1855年)7月26日に卒去した。享年35。
次男の乗命が岩村藩主を嗣いだ。
主な藩士
家老
用人
- 飯野三右衛門、三好源太夫、小菅儀兵衛、岩松藤市、梅村源五右衛門、飯岡庄兵衛、矢口三左衛門
大目付
- 中島長左衛門、神田三郎左衛門、山梨平右衛門、大山傳八郎、石寺十左衛門、森謙一郎、
郡奉行
参考文献
- 『岩村町史』「十五 岩村藩主時代 3 松平氏」 p193~p227 岩村町史刊行委員会 1961年
- 『恵那郡史』「第七篇 第二十八章 諸藩分治 其一 岩村藩 松平氏七代」 p218~p230 恵那郡教育会 大正15年(1926年)
脚注
大給松平家 岩村藩藩主 (1842年 - 1855年) |
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大給松平家〔宗家〕 | |
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丹羽家 | |
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大給松平家〔乗政流〕 | |
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