座標: 北緯35度39分6.1秒 東経139度46分35秒 / 北緯35.651694度 東経139.77639度 / 35.651694; 139.77639
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この項目では、かつて存在したコンベンション・センターについて説明しています。現在のコンベンション・センターについては「東京国際展示場」をご覧ください。 |
東京国際見本市会場(とうきょうこくさいみほんいちかいじょう)は、かつて東京都中央区晴海に存在したコンベンション・センターである。その所在地から「晴海」または「晴海国際貿易センター」と通称される事が多かった。株式会社東京国際貿易センターと社団法人東京国際見本市協会(共に現:株式会社東京ビッグサイトの前身)が管理・運営していた。
概要
1955年(昭和30年)、前年の大阪に続き東京で「第1回東京国際見本市」が開催された[1]。晴海は仮設の第2会場(第1会場は大手町)だったがこれが好評だったため[2]、東京都は当地に恒久展示場を建設し、1959年(昭和34年)に開場。以来、東京モーターショーなどの企業イベントのほか、コミックマーケットを始めとする同人誌即売会などの開催地として使われた。
1980年代末期、東京都による臨海副都心計画が進められ、晴海地区への交通アクセスの悪さ[3]、各館の移動通路がなく雨天時に不便だったこと、施設には空調設備がなく夏と冬の開催に課題があったことなどを理由に後継のコンベンションセンター構想が浮上[4]。そして1996年(平成8年)、江東区有明に東京国際展示場(東京ビッグサイト)が完成したのに伴い、その役目を譲り閉場した。
来歴
施設
東京国際見本市会場は以下の7施設で構成され、合計の展示面積は56,121m2であった[6]。これらは東京都などが出資していた株式会社東京国際貿易センターと社団法人東京国際見本市協会の二法人によってそれぞれ管理運営をしていた。7施設のうち、東館・西館・南館・新館は前者、A館・B館・C館は後者の管理運営だった。
両法人は東京国際見本市会場が閉場してから7年後の2003年(平成15年)に統合、株式会社東京ビッグサイトに社名変更して現在に至っている[7]。
- 1959年竣工。一般にメイン会場として使われることが多かった。銀色のドーム状屋根を持つ円形構造だったことから「ドーム館」の愛称で呼ばれた。コミケ関係者からは「ガメラ館」と通称され、CLAMPの作品中にもこの名前が登場する。一部に2階部分があり、レストラン「松本楼」、「ニユートーキヨー」が入っていた。この2店舗は当会場閉場後、東京ビッグサイトに移転して開場と同時に再オープンした。なお、「松本楼」は2023年現在も営業している。
- 1959年竣工。東館とほぼ同面積だった。一般的な学校の体育館と同様の形状で、使い勝手は東館より良好だったという。トイレは地下にあった。
- 1959年竣工。2階建て。
- 1971年供用開始。1階の天井を高くとった2階建て。スケートリンクがあった。
開催された主なイベント
最盛期には年間600万人を超える来場者数を記録した[6]。
ほか。
跡地
跡地はその後、カー用品店のオートウェーブ晴海店やアミューズメント施設の東京レジャーランド、レストラン(後に喫茶店に業態変更)の「日東紅茶ティーハウス」が開店していた。これらは2005年頃までには全て閉店し、建物も撤去されて更地になり、年に数回警視庁が主催する二輪車運転講習会が行われている。2001年には、跡地の一部に東京都中央清掃工場が建設された。入口付近には、開いた本の形をした記念碑がある。
東京都は立候補していた2016年夏季オリンピックのオリンピックスタジアムの建設を予定していたが、落選により一旦白紙となった。その後、2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定し、選手村が建設された。大会後にHARUMI FLAGとなり、住居として分譲および賃貸される予定。
また2014年には、勝どきにあった月島警察署が、老朽化に伴い新築庁舎に移転している。
関連項目
脚注
- ^ 国際見本市事始め - web版 イベントマーケティング、2019年7月9日。
- ^ “晴海をよくする会 晴海のあゆみ”. 2023年5月13日閲覧。
- ^ 当時は都営地下鉄大江戸線・東京臨海新交通臨海線ゆりかもめは未開業
- ^ 東京ビッグサイトの計画の目的及び内容 (PDF)
- ^ a b c 日展協50年の歴史年表(再改訂版) - 一般社団法人 日本展示会協会、2016年4月18日。
- ^ a b 中央清掃工場敷地内にある記念碑の記述より。
- ^ 会社概要 沿革(東京ビッグサイト公式サイト)
外部リンク