朴 興植(박 흥식、パク・フンシク、1903年(明治36年)9月26日 - 1994年5月10日)は、大韓民国の実業家。
概要
1931年(昭和6年/民国13年)、朝鮮民族による初めての百貨店である和信百貨店を創業した[1]。1939年(昭和14年/民国21年)には、西友師範学校を前身とする五星学校を受け継いで、朝鮮飛行機工業学校に改称した[3]。太平洋戦争中は、1941年(昭和16年/民国23年)8月に発足した興亜報国団に参加した。1945年(昭和20年/民国27年)の光復後、学校法人光神学院を設立したが[3]、1949年(檀紀4282年)、日本帝国主義の軍事費調達のため財産献納を主導した、などを理由として、反民族行為特別調査委員会による最初の逮捕者となった[3]。
没後の1996年に光神学院同窓会が銅像を寄贈したが、親日派との抗議行動を受けて2001年に校内から撤去された[3]。
脚注