本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト。
来歴
愛知県春日井市出身。母親は元バスケットボール選手、長兄はバレーボール選手、次弟は野球選手というスポーツ一家に生まれる。
名古屋市立桜台高校在学中、1960年全国高校バレーボール大会(徳島県)でベスト8を経験し、1964年東京オリンピック強化選手に選ばれる。卒業後、日紡貝塚に入社し、大松博文の指導を受ける。
1962年世界選手権( ソビエト連邦:モスクワ開催)で金メダルを獲得した。1964年東京オリンピック後の「新生ニチボー」で活動。1965年ブラジルバレーボール連盟主催 南米大会(サンパウロ開催)に全日本チームとして招待され優勝。欧州、中南米、アジアを転戦した。1966年第5回アジア競技大会( タイ:バンコク開催)で金メダル。国内大会では都市対抗、全日本総合、日本リーグなどで優勝し、1967年にニチボー258連勝に貢献して引退した。
球歴
所属チーム
脚注
参考文献
- 毎日新聞社『毎日グラフ別冊第1号』12人の魔女 勝利の記録・根性物語1965/1/1発行 P4-5・39・66・105
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1966年5月号 74-76ページ