本堂 親久(ほんどう ちかひさ)は、江戸時代後期の旗本・大名、明治時代の華族。常陸志筑藩主。男爵。
生涯
文政12年(1829年)12月18日、旗本交代寄合・本堂親道の子として生まれる。嘉永5年(1852年)、父の隠居により家督を相続する。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、新政府の東征従軍の功によって賞典金2000両を賜る。
慶応4年(1868年)7月14日、所領替えによって1万110石に加増され、大名に列して立藩した。明治2年(1869年)、版籍奉還により志筑藩知事(家禄195石)に就任する。明治4年(1871年)、廃藩置県によって志筑県知事に就任する。11月、免官。この間、旧藩士を樺太開拓事業に当たらせている。明治17年(1884年)、男爵に叙せられた。
明治28年(1895年)3月5日に死去した。享年67。
家族
父母
妻
子女
- 本堂釟子 ー 有馬氏弘正室後に門川祐教室
- 本堂錦丸(長男)
- 本堂錫子 ー 工藤精一室後に萩原陽室
- 本堂増子 ー 吉田珊の養女
- 本堂鍈子 ー 近藤長四郎室
- 本堂親雄(次男)
- 本堂東男
- 本堂龍雄[1]
脚注