木下 利次(きのした としつぐ)/ 羽柴 利次(はしば としつぐ)は、江戸時代前期の旗本。豊臣宗家の社稷を継ぐことを認められた。旗本寄合・近江木下家の初代当主。
来歴
備中国足守藩主・木下利房の次男として生まれる。叔父に羽柴秀俊として豊臣家にいた小早川秀秋がいる。大坂の陣により豊臣秀頼を当主とする豊臣宗家が滅亡したのち、豊臣家(羽柴家)が断絶することを愁いた大叔母の高台院の養子となって「羽柴利次」となり、高台院のもとで養育された[2]。
高台院が死去した後、幕府により苗字を「木下」に改姓させられた[2]。木下家となった羽柴家は高台院の(化粧領・養老料)1万5000石の遺領を大幅に削られ、近江国野洲郡・栗太郡の3000石と豊臣家の社稷を相続することのみが許され、一旗本となった[2]。
貞享4年(1687年)に致仕して家督を長男の利値に譲り、元禄2年(1689年)に83歳で死去した。
子孫
利次の子孫は上級旗本・寄合席(大身)として江戸幕府に仕えた。また江戸幕府12代将軍徳川家慶は利次の女系子孫である。
木下利次―木下利値―女子(天野重供室)―天野久斗―天野久豊―女子(押田敏勝室)―香琳院(徳川家斉側室)―徳川家慶
脚注