木下 利徳(きのした としのり)は、江戸時代後期の大名。備中国足守藩10代藩主。官位は従五位下・肥後守。足守藩木下家11代。
略歴
伊勢国津藩主・藤堂高嶷の七男として誕生。幼名は東五郎。
文化2年(1805年)7月29日、先代藩主・木下利徽の養嗣子となる。同年閏8月16日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年9月5日、利徽の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・肥後守に叙任した。
文政4年(1821年)8月21日に33歳で死去し、跡を利徽の実子で順養子にした利愛が継いだ。法号は隆徳院で清閑元浄大居士。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
木下家 足守藩10代藩主 (1805年 - 1821年) |
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木下家 |
- 木下家定 1601-1608
- 木下勝俊(木下利房) 1608-1609
- 遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易
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浅野家 | |
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木下家 | |
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