有吉 煕(ありよし ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2009年(平成21年)6月29日)は、日本の実業家。有吉義弥の次男で[1]、元・三菱重工業常務である。
略歴
家族・親族
祖父は内務官僚で貴族院議員を務めた有吉忠一[2]、父・義弥は忠一の長男で元日本郵船社長[3]。初代中国大使の有吉明と元尼崎市長の有吉実はともに大叔父。忠一の長女は政治家の山崎巌に[1]、三女は元建設事務次官の柴田達夫に[3]、四女は元日本電信電話公社総裁の米澤滋に[3]、五女は川上嘉市の次男で東宝アドセンター社長を務めた川上流二に嫁いでいるため[2]、山崎・柴田・米澤・流二はいずれも煕の義叔父にあたる[1]。川上嘉市の後妻(旧姓・中島)は天文学者・寺尾寿の後妻(旧姓・大野)の姪にあたるため[4]、有吉家は川上家・中島家・大野家を通じて寺尾家とも姻戚関係で結ばれているといえる[1][4]。長女は有吉歌子。
脚注
参考文献
- 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント』 立風書房、1981年10月30第1刷発行