明安公主(めいあんこうしゅ、ミョンアンコンジュ、명안공주、康熙4年5月18日(1665年6月30日) - 康熙26年5月16日(1687年6月25日))は、李氏朝鮮第18代国王顕宗と明聖王后の娘。粛宗の同母妹。諱は福姫(ボクヒ、온희)。
生涯
1665年に顕宗の三女として誕生し、1671年、公主に封じられた。1680年に呉泰周(朝鮮語版)と嘉礼を挙げるが、彼女の住居が盛大な規模と莫大な費用を掛けたため、宋時烈などの臣下から上訴を受けた[1]。
1687年、22歳で死去。顕宗の子女で成人したのは粛宗と彼女のみだったため、兄の粛宗から可愛がられた[2]。墓所は京畿道安山市にある。
家族
- 父: 顕宗
- 母: 明聖王后金氏(1642年 - 1684年)- 清風府院君金佑明(朝鮮語版)の娘
- 夫:呉泰周(オ・テジュ、1668年 - 1716年)
登場作品
- テレビドラマ
脚注