日野西 光善(ひのにし みつよし)は、幕末の公家、明治期の神職・政治家。貴族院子爵議員。日野西家15代当主。
経歴
山城国京都で刑部卿・萩原員光の長男として生まれ、日野西延栄の養子となる[注 1]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
文久3年1月5日(1863年2月22日)従五位下に叙せられ、同年2月7日(3月25日)元服して昇殿を許され越後権介に任じられた[4][5]。兼皇太后宮少進、少教正を務め、1873年(明治6年)9月8日、兼任白峯宮宮司に就任[4][5][6]。以後、兼豊国神社宮司・三敢國神社宮司、兼梨木神社宮司[7]、兼四條畷神社宮司を務め、1890年(明治23年)7月1日、全宮司職を依願退職[5][8][9]。
1890年7月10日、貴族院子爵議員に選出され、1897年(明治30年)7月10日まで一期在任した。1896年(明治29年)皇典講究所幹事長に就任[5]。1905年(明治38年)平安神宮宮司に転じ、1914年(大正3年)厳島神社宮司に発令されたが高齢のため辞職した[5]。
系譜
脚注
注釈
- ^ 『人事興信録』第6版、ひ3頁では、日野西延栄の長子。
出典
参考文献
- 『日野西家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
- 人事興信所編『人事興信録』〔初版〕、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
- 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』 下、吉川弘文館、1996年。
平安神宮宮司(第4代、1905年 - 1914年) |
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