我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 1985年7月25日)は、日本の社会心理学者・文化人類学者。甲南大学助教授・カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授・筑波大学教授・東京工業大学教授などを歴任。
経歴
- 出生から修学期
1927年6月17日、法学者・我妻栄の長男として東京都に生まれた[1]。東京高等師範学校附属小学校、同中学校を経て、旧制武蔵高等学校に進学。東京大学文学部独文科に入学したが、心理学科に転じて卒業。その後ハーバード大学に留学し、1957年ミシガン大学大学修士課程を修了した。
- 心理学者として
1958年、甲南大学助教授に就いた。1961年より東京家庭裁判所調停委員。1968年に学位論文『自己像の現象学的深層心理学的研究』を日本大学に提出して文学博士号を取得[2]。1982年、筑波大学教授に転じた。1984年より東京工業大学教授。1985年7月25日、食道がんのため、虎ノ門病院で死去。58歳没[3]。
- 在外研究所属
家族・親族
著作
- 著書
- 共著編
- 訳書
- 論文
- 「文化とパーソナリティ」石田英一郎ほか編『現代文化人類学 5. 人間の行動』中山書店 1960年
- 「フロイト理論における諸概念の検討 『甲南大学文学会論集』12,14号 1960年
- 「偏見と差別の社会心理学」『現代人の病理 2. 人間関係の病理』 誠信書房 1972年
- "Some aspects of changing family in contemporary Japan-once Confucian, now fatherless ?", Journal of American Academy of Arts and Sciences, Vol. 106, No.2, 1978
- "Problems of self-identity among Korean youth in Japan", In Changsoo Lee& G. A. Deves (ed.) Koreans in Japan, UC press 1981
- 「集団主義の心理的要因」濱口恵俊ほか編 『日本的集団主義』有斐閣 1982年
- 「遺稿・癌は禁句か?」『文芸春秋』1985年10月号
参考文献
脚注