張 済(ちょう さい、生没年不詳)は、後漢末期の政治家。字は元江。汝南郡細陽県の人[1]。張耳の末裔で[2]、後漢初期の名臣張充の六世の孫にあたる。曾祖父は光禄勲張酺(字は孟侯)。祖父は張蕃。父は張磐[3]。
略歴
光和年間に司空(三公の一つ)を務めた。前任は袁逢、後任は張温である。
若いころは楊賜に推挙され、徐々に昇進した。儒学を好んだが、病により司空を辞し、霊帝の在世時に没した。死後に車騎将軍・関内侯を贈られた。
子の張根は池陽侯に封じられ、弟の張喜は兄同様に司空に任じられた。
脚注
- ^ 『後漢書』張酺伝によると、宣平侯張敖(張耳の子)の庶子の張寿は池陽侯(細陽県)に封じられ、後に廃されたため代々汝南郡細陽県に住居した、とある。
- ^ 『後漢書』霊帝紀および張酺伝
- ^ 『後漢書』張酺伝が引く華嶠の『漢書』(班固の著書とは別)による。
参考伝記