度会氏(わたらいうじ)は、「度会」を氏の名とする日本の氏族。多くは明治初期まで伊勢豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の祠官を世襲した。
概要
一般に流布している系図によれば、度会氏の祖は天牟羅雲命(天児屋命または天御雲命の子)であると伝えられ、伊勢国造の後裔であるとされる[1]。異説として、伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神が元は丹後国から伊勢に移ったとされることから、渡会氏も丹後から豊受大神と共に伊勢に移ってきたとする説もある[2]。古くから伊勢神宮外宮の禰宜を世襲し、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、伊勢皇大神宮(内宮)と争い伊勢神道を唱えた。多くの家に分かれたが、禰宜を務められた家(重代家)は、檜垣家・松木家など6家のみであった。
主な度会氏
脚注
- ^ 西川順土校注「度會神主四門氏人出口系譜」『神道大系 論説編七 伊勢神道(下)』神道大系編纂会、1982年、415-417頁。
- ^ 荊木美行「豊受大神宮の鎮座とその伝承」『日本書紀の成立と史料性』燃焼社、2022年、317-319頁。(原論文:『古典と歴史』第1号、2018年)
参考文献
関連項目