広瀬 駿二(ひろせ しゅんじ、1918年2月5日 - 2006年3月1日)は、日本の大蔵官僚。
来歴
山梨県出身。1941年10月 高等試験行政科を合格。同年12月に東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]。1942年1月 大蔵省入省。預金部兼銀行局属[1]。1945年4月 福島税務署長。課長補佐、課長時代には主計畑を歩み、国税庁長官官房総務課長などを経て、1963年5月20日 関東信越国税局長。1965年6月18日 理財局次長。1967年8月4日 大臣官房財務調査官(大臣官房担当)。1967年11月7日 証券局長。1969年5月10日 退官。同年5月 関西経済連合会常務理事(〜1971年)。1971年9月 日本万国博覧会記念協会理事。1972年12月 海外経済協力基金理事。1973年1月 商工組合中央金庫副理事長(〜1981年9月20日)[2]。1981年 同顧問[3]。
職歴
脚注
- ^ a b c 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、147頁
- ^ 『商工組合中央金庫人事』読売新聞 1981年9月22日 朝刊 金融 9頁
- ^ 『現代物故者事典 2006 - 2008』日外アソシエーツ、2009年3月発行、540頁