広橋 伊光(ひろはし これみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。広橋勝胤の子。官位は従一位。准大臣。広橋家23代当主。家禄は850石。
22代当主・広橋勝胤の子として誕生。母は成瀬正幸の娘。正室は黒田継高の娘・代々姫。
尊号事件では、議奏を務めていたため罪に問われ、寛政5年(1793年)に参内20日停止となった。享和3年(1803年)から文化10年(1813年)9月まで、武家伝奏を長く務めた。法号は勁松院。日記「勁槐記」を残した。
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