平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日 - 1984年〈昭和59年〉1月1日)は、日本の俳優。長野県伊那市出身。本名:古村 彰(こむら あきら)。
1958年(昭和33年)、長野県辰野高等学校を卒業。東京で薬品会社や日通品川に勤務していたが、新聞で目にした吉田義夫のインタビュー記事に感銘を受けて俳優を志し、会社を辞めて吉田に弟子入り。その後、1960年(昭和35年)5月に東映京都撮影所に大部屋俳優として入社。ヤクザ映画のチンピラ役や時代劇の斬られ役などの脇役で数多くの映画やテレビ時代劇に出演。東映京都に籍を置きながら1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までは京都の劇団くるみ座にも研究生として在籍し、演技を学んだ。私生活では1966年(昭和41年)3月に結婚、3人の娘に恵まれる。
1970年(昭和45年)に放映された結束信二の脚本によるテレビ時代劇『燃えよ剣』では、西田良・香月凉二・小山田良樹(山田良樹)らの東映京都の大部屋仲間と共にレギュラーに大抜擢され、重要な役どころである新選組八番隊組長の藤堂平助を演じた。
特に第15話「わかれ雲」と第16話「残月油小路」では主役的扱いを受けた。序盤の試衛館時代は朗らかで誠実なキャラクターの藤堂が、同門の先輩山南敬助の脱走・処刑や、知人女性の兄である倒幕浪士を死なせてしまうなどの出来事を経験し、新選組の在り方に疑問を感じて苦悩した末に脱盟、最後は武士としての生き様を貫き通すべく覚悟の上で油小路にとどまり、土方歳三に挑んで死んでいくという、藤堂の心の内面の移り変わりを演じた。
その後も脇役として多数の作品で活躍していたが、1984年(昭和59年)1月1日、交通事故で死去。43歳没。
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