常盤 聡(ときわ さとし、1987年5月14日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)[4]。
来歴
小学校1年時にサッカーを始める[2]。早稲田実業高校へ進学したが1学年在籍中に留年することとなったため、2学年より通信制高校に転入し、同時にFC東京の下部組織に加入した[5]。長島裕明の厳しい指導の下[5][6]2005年のJリーグユース選手権では15得点を挙げ、得点ランキング2位に入る[注 1]などの活躍を見せた。同期に村田翔などがいた。2006年に進学した東京農業大学では、高い身体能力と技術を発揮して[8]2年時から関東2部リーグの得点ランキング上位に定着し、4年時には副将としてチームを支え、伊藤大介(順天堂大学)とともに4年間の最多出場選手として表彰された[9]。
2010年、水戸ホーリーホックに入団[10]。同年4月4日のJ2第5節柏戦でJリーグ初出場を果たし、9月1日のJ2第19節大分戦でJリーグ初得点を挙げた。チームメートの吉原宏太からは「チームでもっともFWらしいFW」と実力を認められた[1]。2011年は途中出場が多く[11]、出場機会を減らす中でも前年と同じく4得点を挙げたが、契約満了により退団[12]。
2012年、ギラヴァンツ北九州へ移籍[13][14]。三浦泰年監督の下、スピードと突破力を武器に複数の攻撃的ポジションをこなし[15]5得点を挙げた。
2013年、三浦が新たに東京ヴェルディの監督に就任すると、三浦サッカーの欠かせないピースとして[15]同クラブへ移籍[16][17]。同年は主に高原直泰と2トップでコンビを組んだ[18][19]。2014年は攻撃の中心となり[20]チーム最多の得点を記録。シーズン終了後、契約満了により退団[21]。
2015年、ロアッソ熊本に加入[22][23]。主に左サイドハーフでのプレーを続けたが、守備的なチームにあって持ち前の攻撃力を活かせず、徐々に出番を失いプロ入り以来初となる無得点でシーズンを終えた。同年末、契約満了により退団[24]。
2016年、ザスパクサツ群馬・服部浩紀監督からの2年越しのオファーに応え[25]同クラブへ完全移籍[26][27]。クラブとは2年契約を結んでいたが[28]、同年3月に母を亡くしたことを機に家業に専念することを選び[29]11月に契約を解除。現役を引退した[4]。
現在は八王子市の建設業・寿建設の代表取締役を務めている[30]。
2018年8月26日、東京都社会人1部リーグ所属の八王子FCからオファーがあり、現役復帰[31]。2020年1月、退団が発表された[32]。
エピソード
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ・シニア経歴
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
天皇杯
|
期間通算
|
2010 |
水戸 |
17 |
J2 |
23 |
4 |
2 |
0 |
25 |
4
|
2011 |
11 |
22 |
4 |
0 |
0 |
22 |
4
|
2012 |
北九州 |
18 |
28 |
5 |
1 |
1 |
29 |
6
|
2013 |
東京V |
17 |
39 |
8 |
1 |
0 |
40 |
8
|
2014 |
9 |
37 |
6 |
1 |
0 |
38 |
6
|
2015 |
熊本 |
23 |
0 |
0 |
0 |
23 |
0
|
2016 |
群馬 |
17 |
23 |
3 |
2 |
0 |
25 |
3
|
2018 |
八王子FC |
37 |
東京都1部 |
3 |
0 |
- |
3 |
0
|
2019 |
17 |
2 |
2 |
- |
2 |
2
|
通算 |
日本 |
J2
|
195 |
30 |
7 |
1 |
202 |
31
|
日本 |
東京都1部
|
5 |
2 |
- |
5 |
2
|
総通算
|
200 |
32 |
7 |
1 |
207 |
33
|
その他の公式戦
出場歴
代表・選抜歴
- 2005年 東京都選抜 - 岡山国体[38] (少年男子・4位)
- 2009年 東京都選抜 - 新潟国体 (成年男子)
脚注
- 注釈
- 出典
関連項目
外部リンク