市橋 長璉(いちはし ながてる)は、近江仁正寺藩の第6代藩主。仁正寺藩市橋家7代。
豊後臼杵藩主・稲葉董通の次男。母は中原氏。正室は平戸藩主・松浦誠信の娘。側室に伊東氏、中西氏。子は市橋長昭(長男)、娘(畠山国儔正室)、娘(松浦信好室)、娘(稲田敏植室)、娘(高木永貞室)、娘(高木貞直室)。官位は従五位下、伊豆守。幼名は豊三郎、安之丞。通称は民部。初名は通奉、通璉。長輝とも言う。
宝暦5年(1755年)2月11日、先代藩主の直挙の養嗣子となる。直挙の養子・直好(市橋直方の三男)、直記(市橋直方の六男)の早世のためであった。同年3月15日、将軍・徳川家重にお目見えする。宝暦8年(1758年)11月24日、直挙の隠居により跡を継いだ。同年12月18日、従五位下伊豆守に叙任する。
天明5年(1785年)10月6日、仁正寺にて53歳で死去し、跡を長男の長昭が継いだ。法号は嶺雲院殿徹翁浄閑大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。
系譜
父母
正室
側室
子女
市橋氏 仁正寺藩6代藩主 (1758年 - 1785年) |
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仁正寺藩 | |
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西大路藩 | |
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