| 伝記の記載を年譜形式のみとすることは 推奨されていません。 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2018年2月) |
工藤治人(くどう はると、1878年11月16日[1] - 1963年10月13日[2])は、日産自動車の元社長。
年譜
解説
日本独自のたたら製鉄の近代化に大きな足跡を残した。具体的には、砂鉄と木炭を回転式電気炉に入れて海綿鉄を製造する方法を開発し、旧日本軍の軍需用特殊鋼原料や日本で初めての本格的な高速度工具鋼製造普及に応用した。日本のものづくりの精神として「誠實生美鋼」という言葉を残し、日立金属安来工場には自筆の書が残されている。
脚注
- ^ a b 『大衆人事録 第3版 ア-ソ之部』帝国秘密探偵社、1930年、ク4頁。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.179。
- ^ 公職追放の該当事項は「日産重工業取締役社長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、292頁。NDLJP:1276156。 )
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- 鮎川義介 1933.12-1939.5
- 村上正輔 1939.5-1942.2
- 淺原源七 1942.3-1944.9
- 工藤治人 1944.9-1945.6
- 村山威士 1945.6-1945.10
- 山本惣治 1945.10-1947.5
- 箕浦多一 1947.5-1951.10
- 淺原源七 1951.10-1957.11
- 川又克二 1957.11-1973.11
- 岩越忠恕 1973.11-1977.6
- 石原俊 1977.6-1985.6
- 久米豊 1985.6-1992.6
- 辻義文 1992.6-1996.6
- 塙義一 1996.6-2000.6
- カルロス・ゴーン 2000.6-2017.3
- 西川廣人 2017.4-2019.9
- 山内康裕[ノート 1] 2019.9-2019.12
- 内田誠 2019.12-
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